私の祖母の生まれた土地では
「お天道様が見ているから恥ずかしい真似をするな」
と教えられ育ったそうです。
<生きるということ>
祖母の生まれた土地は
「厳格な教えに沿った教育をされる場所」
でした。
ですから
水路も街の中にきちんと整備されていました。
また、今の時代なら当たり前なのですが
祖母が育った大正時代の当時
すでに町人たちは幼稚園を利用していました。
祖母も両親(特に母親)が仕事のため
幼稚園に預けられていたそうです。
ここには
「同郷の者は助け合うという精神が現れている」
ように感じます。
ちなみに
祖母の父親(私の曽祖父)は
「自由を愛する人間」だったので
この地域での生活は
「生き難いものだったのではないか」
と推測されます。
何故なら
「こうであるべき」が強い土地柄だったから。
このように
ここでの生き方があっている人間にとっては
心地の良い土地・地域であっても
合わない人間にとっては
極端な話
地獄のようなものであるかも知れません。
ところで
当時から仕事というものは
やはり東京のような大きな町に集まるもので
祖母もそのルールにもれず東京に。
そんな中
第2次世界大戦を挟み、私の父も生まれています。
東京にいたからこそ家族が作れたのかも知れません。
あのまま祖母が地元にいたなら、戦争という
誰もが経験したくない状況がなかったとしても
あまり想像したくない状況があったと思います。
それは表題にしてある
「お天道様が見ている」
に反する生き方になったかも知れません。
(どんな意味かは、この後出てきます)
<お天道様とは?>
改めて
表題にある「お天道様」とは何か?と調べてみると
皆さんもご存知のとおり「太陽」のことです。
当時の祖母の言動から推察すると
①太陽は常に自分の頭上にいる
②太陽を見て、自分の言動の戒めにする
②人が見ていなくても正直に誠実に生きる
④太陽に笑われる振る舞い・不誠実は外道
⑤親から子へと未来へ伝え続ける
このような意図が
「お天道様が見ている」という言葉には
含まれています。
人としてどう生きるべきかという
全ての根源がここにあると感じませんか?
『誰(他の人間)が見ていなくても
自分を律して生きることが大切である』
と、ここに記されているのです。
少なくとも「恥の文化」である
日本において、日本人の生き方として
これくらい分かり易い指南は無いと思います。
<人間の核を形成する>
よく祖母に言われたのは
「お天道様が見ているのだから
恥ずかしい振る舞いはしては成らない」
という言葉です。
○学校へ行く時
○どこかへ出かける時
○人と会う時
どんな時もこの言葉と共に送り出される。
そんな幼い日の出来事。
今でも心に残り、
記憶としてもはっきりと残っている言葉。
こんなふうに代々伝えられ
「家での教育が行われて来たのだろうな」
と子供の頃から感じて、生きて来ました。
この教育は今の私の財産の一つでしょう。
例え
他人が否定の言葉を浴びせて来ようとも
自分の奥底に眠る確固たる大切な「核」となるもの
これがあるから
曲がることなく生きて来られたとも言えるでしょう。
(どうでもいい!と投げやりにはならなかったので)
また
私だけではなく
「多くの人が聞き覚えのある言葉である」ことから
「日本人にとっての財産」なのはないでしょうか?
「お天道様が見ている」
この言葉を
忘れてしまった方も、今回初めて聞いた方も
ここから改めて大事な人間の核となるように
心に留めて、生きていって欲しいです。
「この言葉があなたの支えとなる」ものだから。
「お天道様が見ている」の意味を知り
理解して生きるのなら
何にも左右されず
あなただけのあなたの核があなたを支える
そのようなものになるでしょう。
それは
快適で、自由で、でも己を戒め
ブレない人生を生きる力となるはずですよ。
また今日のkeyword「恥」も参照下さい。
ではこれからも
あなたの人生がより豊かに快適になるよう
一緒にこの世の理解を深めていきましょう!
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